ココロだより(2022年冬号)/生きるということ

 

水谷 剛司

 レフ・トルストイは、「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」、「復活」などの重厚な作品を残したロシアの文豪ですが、その晩年には、広く大衆に開かれた民話を記しました。ここに、「人は何で生きるのか」という民話をご紹介します。カウンセリングにもしばしば立ち現われる主題だからです。この作品を通して、彼は人が生きていくうえで何が大切か、に触れています。

 神がミハイルに、「人の心の中には何があるか」、「人は何によって生きるのか」、「人が知る力を与えられていないのは何か」という3つの問いを与えました。

 寒さの中、裸で凍えているひとりの男を、どうしても見過ごせなかったセミヨンとマトリョーナの心の中にあったのは「愛」でした。両親を亡くした双子が生き延びることができたのは、わが子と同じようにお乳を含ませているうちに、百姓の妻の心に自然に湧き出た「愛」があったからです。一年先まで歪みも綻びもしない靴を注文した男がその日のうちに死んでしまうのは、人は、自分の死を知る力が与えられていないのです。人の生き死には誰にも決められない。故に、生を大切に、ということのようです。

 このミハイルは、かつてロシアに生きた男性ですが、現代を生きる私たちの中にも存在しています。2022年の春、ロシアがウクライナに軍事侵攻し、戦争が起きました。それは社会的、政治的な問題であると同時に、私たちの内面にある破壊性や憎悪や悲しみの具現化ととらえることもできましょう。ミハイルのように、外界と内界を、破壊と創造を、生と死を、愛と憎しみを行き交い、統合するプロセスを踏めたならやがて痛みは和らぐのかもしれません。

(「人は何で生きるか」、トルストイ著より)